大政奉還って?幕末の大騒動を分かりやすく解説します!〈前編〉
誰でも一度は歴史の授業で、
大政奉還という言葉を
聞いたことがあると思います。
字面を見ると
ちょっと難しそうですが…
この大政奉還は
歴史の流れを大きく変えるほどの
大事件なんです。
大政奉還はどんな出来事なのか?
大政奉還に関係して
どんなことが起こったのか?
今回はそちらを
解説していきたいと思います!
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大政奉還とは?
大政奉還とは、
それまで政治を行っていた幕府が
天皇様へと
政権を返上したことを指します。
「日本の政治よろしくね!」
と、約260年のあいだ
天皇様や朝廷から
政治を任されていた徳川幕府。
それでは幕府はなぜ、
政権を手放したのでしょうか?
大政奉還の背景とは
色々な批判が集まり、
幕府の人気が下がりきっていた
幕末の末期。
薩摩藩と長州藩が
協力して幕府を倒すために
薩長同盟を結ぶなど、
討幕の動きは激しくなっていました。
戦争の準備を整えた
薩摩藩と長州藩は天皇様に
「正式に幕府を倒させてください」
とお願いまでしてるんです。
天皇様のお許しが出たら
後は襲いかかるだけですからね。
しかもこの薩長さん、
めちゃくちゃ強いんですよ。
もう西洋の最新の武器、
これでもかってくらい持ってるんです。
正直幕府は戦争をしたら
ボコボコにされて
路頭に迷う可能性があります。
さてそんな武力派である
薩長さんに睨まれて、
困ってしまった幕府側。
「やばい政治できなくなるじゃん…」
「というか殺されるかも…」
将軍である徳川慶喜さんは、
どうしたものかと考えていました。
そこで
政権を返上してはどうですか?
という意見が出ます。
提案をしたのは、
土佐藩のお偉いさんである
山内容堂さんでした。
容堂さんの提案を受けて、
慶喜さんは考えます。
薩摩と長州の目的は
幕府を倒して
天皇様中心の政治をすることです。
確かに政権を返してしまえば、
薩長軍は戦争をしかける理由が
なくなります。
しかも…
徳川幕府だけでも約260年、
鎌倉・室町幕府の時代も含めると
700年近くのあいだ
朝廷は幕府に政治を預けてきました。
今さら朝廷に
政治なんてできるはずないし、
すぐ幕府に頼ってくるはず!
そう結論づけた慶喜さん、
容堂さんナイス!ということで
さっそく
「とりあえず政権返していい?」
と会議を開きました。
この会議を開いたのが
京都の二条城だったので、
“大政奉還は二条城で成立した”と
紹介されることも多いですね。
会議の結果、
慶喜さんは政権の返上を決めて
天皇様にお手紙を出します。
手紙を受け取った天皇様は
政権返上を了承。
こうして
大政奉還が正式に
成立しました。
さて、
無事に成立しました大政奉還。
しかしまだまだ
波乱は待ち受けているのです。
将軍でなくなった
慶喜さんの政治への参戦。
そしてきたるもう一つの大事件、
王政復古の大号令…
どうなる、慶喜さん!
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