新選組結成の理由と成り立ちって?羽織や誠の由来も解説!①
歴史に詳しくなくても、
新選組という名前を
知っている人は多いと思います。
「なんかあの…人斬り集団?」
「羽織!だんだらの!あと誠の旗!」
ざっくりこんなイメージの人も、
少なくないのではないでしょうか。
有名ではあっても、
・新選組はどんな組織なのか
・どんな理由で結成されたのか
この辺りは案外、
知られていないんですよね
そこで今回は、
新選組の結成の秘密について
解説したいと思います!
また、だんだら模様の羽織や
誠の由来にも迫っていきますよ。
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新選組が結成された時代背景
新選組とは、
幕末の京都で治安を守るために
警備や取り締まりを
行っていた組織のこと。
つまり、
警察のようなものですね。
なぜ京都に
警備が必要だったのかというと、
この頃の京都が
荒れに荒れていたからなんです。
新選組が結成されるより少し前…
海外とのお付き合いを
長い間拒否していた幕府。
しかしアメリカから
大きな軍艦に乗ってやってきた
ペリー提督に
「仲良クシマショー」
と威圧感たっぷりに言われると、
嫌ですとは言えず。
「OKベリーマッチ!」
武力に怯えながら国を開けます。
いわゆる黒船来航ですね。
これをきっかけにして、
弱気な幕府に不満が集まります。
さらに外国人の横柄な態度にも
日本人はイライラ。
結果
「幕府もうダメじゃない?」
「うん。天皇様に政治やってほしい」
「じゃあ幕府倒そう」
「外人も日本から出て行ってもらおう」
というように…
天皇様を敬い、
天皇様を日本の中心と考える尊王論。
さらには、
日本から外人を追っ払おうという
攘夷論が一気に広まります。
この二つを合わせた
尊王攘夷論を掲げ、
天皇様の住んでいる京都に
色んな人が集まってくるんですね。
中には商人から無理やり
お金を巻き上げていったり、
刀を使って喧嘩したりと…
過激な人もいるわけです。
当然京都の治安はどんどん悪化。
これはまずいということで、
幕府派である会津藩が
京都の警備を始めますが、
会津藩だけじゃ人手が足りない…
こんな状況の中で、
新選組の原型である浪士組が
作られることになったのです。
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新選組の原型!浪士組の募集
浪士組は幕府によって、
江戸で募集されました。
浪士組を作る
直接のきっかけになったのは、
将軍・徳川家茂が
仕事で京都に行くのが決まったため。
「家茂さん来るけど京都の治安最悪だよ」
「将軍様になんかあったらまずい」
「警備員増やさなきゃ…!」
という感じですね。
応募に身分を問わなかったので
集まった人は200人以上。
この中に、後の新選組幹部になる
近藤勇や土方歳三、
沖田総司などのメンバーもいました。
数グループに分けられつつ、
200人はぞろぞろと
江戸から京都へと移ります。
まあこれだけ大人数です。
色んな人がいます。
もちろんトラブルも起きます。
江戸から京都に行くには
十数日かかりますから、
途中で泊まる宿が必要なんですね。
この宿とり係の一人が
近藤さんだったんですが…
近藤さんは1グループ分
宿を取り忘れてしまいます。
「ふーん。拙者の宿がないと」
「では焚火でもして温まりますかな」
なんて言いながら、
町の道路の真ん中で
どでかいたき火を開始。
町中大パニックです。
結局、宿が準備されるまで
たき火は続きました。
こんな過激なことをやって見せたのが
芹沢鴨という人…
この方も後の新選組幹部です、
超問題児なんですけどね。
あれやこれやと問題はありつつ、
なんとか浪士組は
京都へとたどり着きます。
「よっしゃ!警備だ!」
と思った矢先、
とんでもないトラブルが発生します。
そのトラブルを起こしたのは、
清河八郎という人でした。
さてはて、
ようやく京都へたどり着いた浪士組。
いったいどんなトラブルが
待ち受けているのでしょうか…
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